『遠まわりする雛/米澤穂信』「正体見たり」奉太郎が幽霊の正体見たり枯れ尾花と話したら好き勝手に高度に解釈されたときの3人の考えは?
わからないなと読み返してて思った
検索してもヒットしないので書いておく(検索が上手い自信がない)
全部読み返してないので、摩耶花・里志・えるの折木に対するありきたりな反応を知ればわかるかもと思うけど、高度に解釈とのことなのでそれでいいのかわからない。
思いつくのは。
高度な解釈というのにとりあえず目をつぶって考えると、3人共前提から既に勘違いしたパターン
里志は奉太郎の省エネを誤解しているとのことなのでそのあたりで形而上学的価値の否定に注意がいってそんな具合の奉太郎の性格について考えた
摩耶花はよくわからないが、私はあんまり信じる方じゃないとのことだから二通りか?
私は一般的な幽霊好きと違って信じる方じゃないけど
私はあんたと違って幽霊あんまり信じる方じゃないけど
摩耶花の正義感だったかを思い出した。幽霊を幽霊のままにして人を騙す的なのが嫌ということか?
ならば前者で、幽霊をわざわざ幽霊のままにするような騙りは嫌い、私自身は幽霊信じてないからたぶらかされるタイプの人間じゃないけど。か?
まあふたりとも高度な、を満たしていそうか?書き始めでは摩耶花がよくわかっていなかったので高度な、に目をつぶってと書いたが。
まあ一応これで。残りは千反田。
後ろの席にいる奉太郎の喋りを聞けていないけれど摩耶花が嫌いねといったので(4人にとってはままあることだと理解している程度のニュアンスのはずだがフォローしないわけではないので)フォロー気味にとりあえずの発言をしたがそれも誤解だった?
奉太郎は枯れ尾花だと証明させないことの難しさと曖昧にすることによるオカルトな楽しみは残しておきたい的なことを語ったはずだから、
枯れ尾花の正体を求められては、誤解なのだと。
けっこう考えてこうなったのでいつの間にか初歩的な抜けができてるかもしれないけど、一応書いておく。
尤もな解釈を知ってる方いたらコメントかツイッターで教えて下さい。